「文法」はことばそのものに必要なのではなく、国歌とその付属設備である学校と教師のために要求されるのである。文法はその本性において、ことばの外に立ってことばを支配する道具である。ことばは現実であるのに対して、文法は観念であり規範である。
したがって、書き言葉の術は、知識と情報の階級的独占が必要なところでは、いつでも頑固に保守された。漢字やかなづかいという単なる手段の改変がその都度激しい抵抗に出会うのも、慣れや有用性の観点ではなく、文字術の秘儀性に身をゆだねてしまった感覚の根がまだ生き残っているからである。
Author:プチファイ!
秘めた野心と現実のギャップと日々戦う36歳のビジネスパーソンです。
しんどいことは沢山あるけど、日々の生活にころがっているちょっとした発見を心の糧に「ちょっとだけ頑張ってみよう!」という思いを大切に前に進んでいこうと「プチファイ!」と名づけました。
AtlantaのEmory大学でMBAを取得してこのたび帰国しました。また新たなステージで一歩一歩前進していきたいものです。
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