食べるなと言われると、食べたくなるものです。
『悪魔のピクニック~世界中の「禁断の果実」を食べ歩く』(タラス・グレスコー著)
生乳チーズ、チョコレート・ムース、葉巻、コカ茶。・・・これらはある国で「禁じられている」食べ物なんだそうです(!)
もちろん毒薬というわけではなく、他の国では普通に食べられているものばかりなのですが。
なぜチーズやチョコレートが法律で禁じられているのか?なんとも不思議な話ですよね。
カナダ人ライターが、世界各国で「禁じられている」食べ物の生産者や愛好家のもとを訪れ、自らもそれらを口にしつつ、誰がどうしてそれらを禁じたのかを通じて、人間の欲望と社会・政治のかかわりをさぐる文化社会学エッセイです。
トラベルエッセイの色合い濃い一冊ですが、
「タブー」の裏に潜む社会/権力と人間の感情のせめぎあいが実に読み応えがありました。安全の強化という名目で個人の自由が侵害されるのを、あまりにも簡単に許しすぎているのではないかと著者は疑問を呈します。
結局のところ被害を受けるのは、個人の持つ主権ではないかと。
食べ物の選択なんてまさに人間の本能であり、極言すれば「その人らしさ」であるわけです。
そんな「らしさ」を法律で禁じることで何が得られるのか???「そう、簡単なことだ。奴ら(=役人)はアルコールを解決すべき課題にしておかないと、金をもらえないからだ」特に印象に残った話を2つご紹介しておきたいと思います。
(1)地域コミュニティへの誇り
「本当のところ、EUには助けられたと思ってるよ。グローバリゼーションは地域化も進めるからね。我々は自分のコミュニティにさらに誇りを持つようになるんだ。もうフランスのために戦っているわけじゃない。フランスは今やヨーロッパの一部でしかない。我々はブルゴーニュのために戦っているんだ。そしてブルゴーニュ人として、世界で何ができるか(⇒最高のチーズを生産すること)を誇りを持って見せられる」(2)自ら(の味)への誇り
ドラショーはアブサン(=酒の一種)の合法化には反対だった。「・・・合法化してしまえば、(独自のレシピは)少しずつみな消えていき、スタンダードなブランド一つしか残らなくなる。アブサンのコカコーラだ」
「人は自分のアブサンに値しなければならないと思う」権力がおかしな方向に使われるとき、妙な法律や罰則が生まれます。
そこで押しつぶされそうになった人々のプライドは密造酒や独自開発のチーズとなって結実し、またその味を旗印に人々の心はひとつになる。
禁じられた食べ物を通じて、社会と人とのせめぎあい、人間の誇り高き志を鮮やかに描いた一冊です。ぐつぐつと熱いものがこみ上げてきますよ。おすすめ。
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上でご紹介した話は、ビジネスの世界でも全く同じことが言えるような気がします。
パッと思いつく有名な例では、小倉昌男さんなどがあげられますね。ヤマト運輸創始者で、お客様の利便や社会貢献を目指して、官僚と戦い続けた
名経営者のメッセージの熱さは、チーズづくりのオヤジにも勝るとも劣らず。↓誰もが読んでいらっしゃるであろう不朽の名著ですね。“もし”まだの方がいらっしゃればぜひ!これは必読ですよ。
『小倉昌男 経営学』(小倉昌男著)
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プチファイさん、こんばんは。
これまたどこでこげな本を(笑)。
面白そうは面白そうですね。
私の場合、イギリス滞在時に、イスラムの友人たちがホントに豚肉食べなかったのを知ってるだけに。
ところでWeb2.0。
私は前お話したように、熱くもさめてもいないというか。
ただ、お互い経験したように、昨今の子供たちは夏休みの宿題もネットで解決しようとしているだけに、今後はどうなることやら・・・?