前回記事にした「多様性」に関連して、undergraduateの比較言語学ゼミで印象に残っている話と、最近読んだビジネス書のネタとがリンクしたので、メモっておきます。

人文科学でよく用いられる概念のひとつが「
テクスト(text)」です。簡単に言うと、
経験や価値観などのバックグラウンド全般を指します。
日本社会

のひとつの特徴は
ハイテクスト文化、すなわち、バックグラウンドが重なる/共有されている部分が多い文化であるとされています。島国・鎖国・単一民族といった歴史、あるいはご自身の職場や学校といったコミュニティを振り返っていただければ、非常にしっくりくるのではないでしょうか。
一方、いま僕がいる
アメリカ
は、逆にローテクスト文化の典型であると言われています。アメリカで暮らした経験はなくとも、人種のるつぼであるという背景に加え、オープンで議論好きな性質など、比較的容易に想像がつく方が多いと思います。
【↑大学時代読んだ本。ハーバーマス、懐かしいな~】
ところで、僕がMBAで学んでいて感じる
アメリカ人の強みのひとつは、議論・プレゼンテーションのうまさです。1 vs 1でも、大勢の中でも、
「自分の意見をきちんと話して提示する」スキルは、僕のようなドメ日本人ではなかなかかないません。

そこでふと思ったのは、日本では、言語をはじめ、共有している部分が多いので、コミュニケーションにおいて
「上手に話す」ことがあまり重視されてこなかったのではないか
ということです。
(むしろ、話さずに理解するのが優秀、のような歪んだ価値観・・・)

その象徴といえるのが、職場における
「沈黙は金」「空気を読む」「あうんの呼吸」といったキーワードではないでしょうか。
【↑古のロングセラーは一読の価値ありです。】
もちろん、どちらが文化としてのレベルが高い、ということは無論ありません。
けれども、いま猛烈に感じているのは、
日本が今後グローバルに成長していくには「上手に話す」スキルの必要性です。

ひたすら空気を読んで沈黙し、たまに出た発言者の言葉じりをとらえて「そこは必ずしも正しくないのではないか」とか形而上学的コメントを出し、「いやー難しいね」と、ただ結論を先延ばしにして満足げに会議を終わらせている・・・
・・・人々や組織は、縮小再生産の果てに滅びるしかないのだと。

多様性高まる現代社会では、
「(ゼロベースから)上手に話してテクストを共有し、高い意欲を持ってチーム/ネットワークの中で動く」しかないのだと、最近しみじみ感じています。
そういう意味で、日本人は大きな分岐点に直面しているのかもしれません。裏を返せば、それができる人にとっては大きなチャンスがたくさん転がっている時代とも言えましょう。
【↑見た目は若手向け研修テキストぽいですが、実践的によくまとまった良書。あると思います。】
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