もう数日前のことになりますが、父が亡くなりました。
62歳という若さもさることながら、病気らしい病気をしたことがなく、万歩計をぶらさげて一日一万歩をノルマにし毎週体操教室に通う最近の節制ぶりをよく知っている僕たちにとっては、正直未だに信じられません。
その日もいつものようにカルチャーセンターの囲碁教室に機嫌よく出発し、好敵手と対局している真っ最中に突然倒れ、救急車の中で帰らぬ人となったのです。急性心不全とのことですが、苦しむ暇もない即死に近い状態だったため、普通に眠っているような驚くほど安らかな顔であったのが救いでした。
・・・そんな状態のときにこのブログを書こうと思い立ったのは、
父の粋な心意気をこの世のどこかに書き記しておきたい、とにかくその思いからです。このブログの性質とは本来異なるのですが、番外編ということでお許し下さい。
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父が倒れたという知らせを聞いて駆けつけた僕を、駅で出迎えてくれた妹の横に見知らぬ男が立っていました。怪訝な顔で見ていると、妹は言いました。
「私の彼氏」事情があまり飲み込めぬまま取り急ぎ自宅に戻ったのですが、父の遺体を横たえた
仏間に入った瞬間、心地よい青草の香りが鼻に飛び込んできました。畳と障子が全て美しく張り替えられていたのです。
その日の夜、母がそっと教えてくれました。「実は再来週、●●(=妹)の結納をやることになっていたの。パパも彼のことがとっても気に入ったみたいでね。
あなたに突然紹介してびっくりさせてやろうって張り切ってたんだけどね」
実は、死の前夜も、僕は父と電話で息子の宮参りの打合せをしていました。待望の初孫を大変喜んでくれており、いそいそと準備をしてくれていました。・・・考えてみるとそれも再来週末。
孫の宮参りと娘の結納、それも互いに当日のサプライズにしようという目論見だったのですね。真面目一筋の父はどの写真を見てもしかめ面だったのですが、最近の写真で
唯一ニッコリと素晴らしい笑顔で写っていたのが、初孫をぎこちなく抱いた一枚でした。
遺影は本当に最高のスマイルで僕たちを見つめてくれていました。僕にとっては、父の死は
30数年生きてきて最大の衝撃でして、まだ心にポッカリと穴が空いた状態ですが、初孫を抱いてもらうことができて、
万分の一ですが親孝行できたというのが救いになっています。娘の結納とあわせ「やることはやったぞ」という気持ちで安らかに天に召されたことを祈るばかりです。
「やることはやったぞ」という気持ち、大好きだった囲碁を楽しみながらというある種
幸せな最期だったのかもしれません。こんなハッピーな気持ちでこの世の最期を迎えられるよう、一日一日を大切に生きていきたいと思います。
奇しくも前々回書いていたのですが、「今日という日は残された日々の最初の一日。」を胸に、一歩ずつ、愚直に前進。。。
【今日の学び】
「やることはやったぞ」という気持ちで天に召されるためには、一日一日を大切に生きていくしかない。※人気ブログランキングです。少しでも学びがありましたら、ぜひココをクリックしてやっていただけると大変嬉しいです。よろしくお願いします!パパ、いっぱいどうもありがとう。
これからは物理的な事情もすべて飛び越えて、ずっと一緒にいられるね。
ずっとずっと、一緒だよ。
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